京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

<世光教会を訪れて(2011)>

 
今回のブログは2011年の記事です。
 
2015年2月の京都南部地区総会(於 世光教会)の記事は、
以下のアドレスです。https://kyohhokukyohhokukyohhoku.hatenablog.com/entry/17033532
2016年5月の世光教会での新井純牧師就任式の記事は、
以下のアドレスです。
 https://kyohhokukyohhokukyohhoku.hatenablog.com/entry/17940999
 
 

イメージ 1
 

 ──世光教会を訪れて──

イメージ 13
 

 2011年 8月1日(月)

 世光教会を訪れてきました。
 「せこう教会」と読みます(世光教会HPによると)。

 「あなたがたは、世の光である」という、
 イエス・キリストの言葉から来ている教会名です。

イメージ 8

 今回、写真を撮り忘れたので、このブログに載せた写真は、
 すべて後日に撮影したものです。
 写真掲載について世光教会に感謝申しあげます。

イメージ 2
 
 ビルの七階に礼拝堂があり、
 ビル内にはマンションや福祉施設などを併設しています。
 
イメージ 3

  地図は京都教区ホームページから。ご提供に感謝。


  イメージ 4

 入り口は、大通りに面しています。

イメージ 14
 道を歩いてくると、教会の看板が、
 ビル内の福祉施設の看板と共に出ています。

イメージ 5

 一階入り口付近。

 
イメージ 10
 
 大通りからの一階入り口から入ると、
 そこにビルの管理人室があり、
 「教会はどこですか?」と尋ねると、
 「そこのエレベーターで七階へどうぞ」と教えていただけます。
 
 
イメージ 6

 100人以上が入る、広い礼拝堂があります。
 
イメージ 9


 この日、夜6時から、「京滋キリスト者平和の会」の、
 「平和の夕べ」という催しが、世光教会でありました。

 私はその会の会員ではありませんが、
 案内を見て参加しました。
 とてもよく準備されており、よい集まりでした。
 
 工夫された礼拝と、講師のお話と、
 そして手作りで用意されたごちそうの夕食の会でした。
 出席者は100名ぐらいでしたか…? 
 礼拝堂がいっぱいでした。

イメージ 11

 お話の主眼は原発をどう考えるかということでした。
 といっても、科学的な話や政治・経済の話ではありません。
 講師は、一枚の絵を見せて、
 地域で問題に関わり始められた、
 きっかけについてお話してくださいました。

 ちょうどご自分に、初めてのお子様が生まれたころ、
 原爆で死んだ小さな子供を描いた一枚の絵を見て、
 心に深く思うことがあったそうです。

 講師は若狭にあるお寺のお坊さんの方でした。
 話の最後に、聖書の「野の花」についての、
 イエスの言葉を引用して語ってくださいました。

イメージ 12

 礼拝と講演のあと、夕食会に入りました。
 このとき、福島から京都に避難して、
 定住を始められた数人の方がこの会に出席しておられ、
 夕食のときにお話をしてくださいました。
 小さなお子様をつれてこられた方、
 妊婦の方、パートナーの方…。

 明るく語ってくださってありがとうございます。
 京都の地に住まれて、まだ1ヶ月ほどとのこと。
 家族と離れて、地域と離れて、
 遠く京都に来られた方々の貴重なお話でした。

 前向きなお気持ちの話と、
 原発の被害状況の話とが重なり合い、
 離ればなれのなかで、
 家族と共に、子供と共に、
 生きようとしておられる、
 その姿と言葉に、
 心が切なくなるような気持ちがいたしました。

 心に残るお話をこの日、
 礼拝でも夕食時でもお聞きしました。
 ありがとうございました。

 
イメージ 15

 「平和」という言葉は、
 ときに白々しく聞こえることもあります。

 無意味に使われていると思うときは、特にそうですね。

 大切な言葉は、使いすぎないほうがいいのでしょう。

 この日、福島から避難された方々のお話の中には、
 たぶん、ひとことも、
 「平和」という言葉が使われなかったと思います。

 けれども、私たちが何を必要としているか、
 しっかりと教えてくださいました。

 それは、やはりその一言なのだと感じます。

 世光教会に集われた皆様は、
 その一つの言葉、一つのことを、
 みんなで創り出しておられました。

 皆様のお働きに感謝いたします。

イメージ 7

 「平和を実現する人々は、幸いである。」
  マタイによる福音書 5章9節