京北(きょうほく)教会ブログ──(2010年〜)

日本基督(きりすと)教団 京北(きょうほく)教会 公式ブログ

4月14日(日)のこと

  <きょうほく・きょうかい>
「虹の架かる教会」京北教会ブログ
2013.4.14
「4月14日(日)のこと」

本日の記事は、
この下の、数枚の写真の後にありますので、
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 ─以下は、過去(2010~)のブログを読むときに便利な方法─
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 日付けがブログ作成の日で、これをクリックするとその日のブログが、
 表示されます。

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日本キリスト教団 京北(きょうほく)教会

京都市 左京区 下鴨 神殿町 17-3
京都市地下鉄「北山」駅を下車、徒歩約9分

京北教会のホームページを、
ブログとは別に作っていますので、
よろしければ、どうぞご覧下さい!






 
 2013年 4月14日(日)付 

「4月14日(日)のことなど」





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 先週、強い風雨によってぺしゃんこになった、
 教会庭の草花が、またしっかりと立つようになりました。



 2013年 4月14日(日) 京北教会 聖日礼拝

 聖書 ルカによる福音書 16章 19~31節
 説教 「イエス・キリストに聴く」
 讃美歌21  18「心を高く上げよ!」
      451「くすしきみめぐみ」
      433「あるがまま我を」

 出席者数 28名

 礼拝後 ・こころで歌おう~新旧讃美歌一曲(自由参加)
       讃美歌21─226番 「輝く日を仰ぐとき」
     ・お茶と祈りのとき
     ・教会会計監査


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       週報掲載「宣教のことば」

 「金持ちとラザロ」のたとえ話をイエス様は語りました。

 自らのしてきたことを悔い改めている、
 ある一人のお金持ちの切ない思いが描かれています。
 自らを反省しているのですが、
 その思いは実りを生みません。
   (ルカによる福音書16章19~31節)

 この話から、悔い改めとは、
 悪行の反省ではないことがわかります。

 イエス様が私たちに教えてくださった、
 悔い改めの本当の意味は、
 悪行の反省ではなく、
 神様への立ち返りです。

 神様のもとに、立ち返って、
 そこで自分の身を神様に向けて投じて、
 自分が神様と共に新しく生き始めることを、
 神様に願うことです。

 一般には、悔い改めとは、悪行の反省だと思われています。
 それなのに、イエス様はそれと違ったことを教えています。
 ふつうに考えると、悪行の反省だけで十分に思えますが、
 どうして、反省だけでは、いけないのでしょうか。

 その理由は、悪とは反省で済むものではないからです。
 反省をしようとするならば、
 その反省には際限が無く、
 やがて反省すること自体が、
 さらに心をむしばんでいくことだってあります。

 人の目から見れば、
 悪行の反省はただのポーズに見えてしまいます。
 ですから、悔い改めなど、
 いったい何の意味があるのか?
 …とあざけられます。
 すると、それもそうかな、と人は感じてしまいます。

 そうして、人間の反省は、やがて、
 いつか無意味になってしまうことを、
 主は知っておられます。

 そして反省を超越する新しい一歩を、
 自らの命を私たちのために献げることで、
 私たちにくださったのです。




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 あっという間に、桜満開の季節が過ぎました。

 桜と京北教会をうまく写真に収めようと、
 満開の時期に、何枚も撮りましたが、
 なかなかぴったりとはいきません。

 以下、何枚か。

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 何枚撮っても、「桜と京北教会」の、
 決定版となる写真が撮れませんでした。

 結局、決定版というものは、作らないことにしました。


 一つの決定版を作るよりも、
 無数の姿を一つひとつ大切にするほうが、
 良いことなのかもしれません。